シャドーワークについて思うこと

シャドーワークについて思うこと

ケアマネジャーという仕事には、「求められる役割が多い」というイメージがあります。

その背景にある問題の一つが、いわゆるシャドーワークです。

ケアマネジメント業務におけるシャドーワーク、すなわち法定業務の範囲を超えて行われている支援については、近年ようやく問題として取り上げられるようになってきました。

市町村によっては、ケアマネジャーの業務範囲を周知するためのリーフレット作成なども行われています。

こうした取り組み自体は必要だと思います。

しかし、現在の高齢者を取り巻く生活環境や、今後さらに単身世帯や身寄りのない高齢者が増加していく社会を考えた時、「ケアマネの業務ではありません」と周知するだけで、この問題が解決するとは思えません。

むしろ、シャドーワーク問題の本質は、その先にあると考えています。

実際に法定外業務と思われる依頼や状況に直面した時、多くのケアマネジャーは、まず次のようなことを考えるのではないでしょうか。

その状況に緊急性があるのか。そして、自分が対応する以外に代替手段があるのか、それが本来ケアマネジャーが担うべき業務なのかということです。また、その対応にどの程度の時間や労力が必要なのかも考えます。

代替手段については、本人を支援できる家族やキーパーソンの存在によって大きく変わります。

対応できる家族がいるのであれば、内容にもよりますが、まず家族に動いてもらうことを検討するのが自然です。

しかし現実には、家族が遠方にしかいない方、家族との関係が希薄な方、そもそも身寄りがない方もいます。

そうした方であっても、当然ながら支援は必要です。

「これはケアマネの仕事ではない」制度上そう整理できたとしても、「では、誰がやるのか」という問いが残ります。

ここに、多くのケアマネジャーが感じているストレスの正体があるのではないでしょうか。

法定業務かどうかだけで線を引くこと自体は、それほど難しくありません。

しかし、支援する人が誰もいない状況で、「ケアマネの仕事ではありませんので、やりません」と言えば、それで問題が解決するわけではありません。

本人の生活上の問題は、そのまま残ります。

現状では、医療、介護、福祉、行政、家族、地域住民、民間サービスなどの間に生じる「誰の仕事とも明確に定義されていない領域」を、結果としてケアマネジャーが埋めているケースが少なくありません。

言い換えれば、制度と制度の間にできた空白地帯を、ケアマネジャーがカバーしているのです。

もちろん、ケアマネジャーは利用者と同居しているわけではありません。

勤務時間もあれば休日もあります。

だからこそ、日頃から緊急時を想定してサービスを調整し、家族や関係機関との連携を密にし、できる限り「ケアマネが直接動かなければならない状況」を減らしておくことが重要です。

それでもなお、どうしても誰も対応できない場面は残ります。

そうした時に、可能な範囲でケアマネジャーが動いている。

これが現在の現場ではないでしょうか。

私はシャドーワーク問題を、ケアマネが法定外業務をやるべきか、やらないべきかという二者択一の議論にしてしまうことに違和感があります。

本当に議論すべきなのは、「その支援が必要であるなら、誰が担うのか」

そして、「誰かが担うのであれば、その対価をどうするのか」という問題です。

ケアマネジャーが法定外業務を断り、行政も「ケアマネの仕事ではない」と整理しただけでは、制度の狭間にいる利用者の問題は何も解決していません。

業務の線引きは必要ですが、線を引いた後に残った空白を、誰が埋めるのかまで考えなければならないと思います。

近年、ケアマネジメントに関する国の検討の中でも、ケアマネジャーが現場で行っている法定外業務について整理が進められています。

・保険外サービスとして対応しうる業務
・他機関につなぐべき業務
・対応することが困難な業務

このように分類し、具体例を示しています。

これまで曖昧だった業務を整理し、本来どこが担うべきなのかを社会全体で考える土台ができ始めているといえます。

しかし、私はここで終わってはいけないと思っています。

次に必要なのは、その業務を実際に誰が担うのか、そして、その費用をどのように確保するのかという制度設計です。

私は、「法定外業務は一切行わない」という方向を目指すべきではないと考えています。

一方で、「困っているのだから、ケアマネが善意でやればいい」という現在の構造も続けるべきではないと考えます。

目指すべきなのは、必要な法定外業務に、適切な担い手と適切な対価を設定することだと思います。

すべての法定外業務をケアマネジャーが担う必要はありません。

継続的な買い物支援やゴミ出し、財産管理、預貯金の取り扱い、死後事務などについては、それぞれ適切なサービスや専門職につなぐべきです。

一方で、郵便物の対応、簡単な書類支援、緊急時の付き添いなど、利用者との関係性や状況によっては、ケアマネジャーが対応することが最も合理的な場合もあります。

そうした業務まで一律に、法定業務ではないから対応してはいけないとすることが、本当に利用者の利益になるとは思いません。

必要なのは、業務の内容に応じて担い手を整理し、誰かが担うのであれば無償奉仕にせず、適切な報酬で評価する仕組みです。

私は、これまで行政がケアマネジャーの責任感や支援者としての善意に頼りすぎてきた部分は否定できないと思っています。

困っている利用者を目の前にすれば、多くのケアマネジャーは放っておくことができません。

その優しさや責任感によって、制度の隙間が埋められてきました。

しかし、それを当然のものとして制度を維持し続ければ、ケアマネジャーの疲弊につながります。

そして、最終的にはケアマネジャーという仕事を選ぶ人そのものを減らすことにつながります。

単身世帯や身寄りのない高齢者が増えていくこれからの社会では、この問題はさらに大きくなります。

だからこそ、今必要なのは、ケアマネの仕事に線を引くことだけではありません。

線を引いた結果生まれる空白を、誰が、どのような仕組みで、どのような対価を得て埋めるのか。そこまで議論を進める必要があると考えます。

シャドーワーク問題とは、単なるケアマネジャーの業務範囲の問題ではありません。

制度の狭間に生じる生活支援を誰が担い、その費用を誰が負担するのかという、これからの社会保障制度そのものの課題です。

法人としてできることは限られています。しかし、この問題を考えることが、利用者を守り、ケアマネジャーの職域を守り、そこで働く人たちを守ることにつながると考えています。

代表 北村